神牛像
太宰府へ下る
天神様をお救いした
白い神牛様
太宰府へ下る
天神様をお救いした
白い神牛様
太宰府天満宮の
はじまりに因む
天神様(菅原道真公)は、おとなしい白い牛を飼っていました。しかし、大宰府(だざいふ)へ左遷(させん)の発令とともにその牛の行方が不意に分からなくなります。
天神様はその牛の行方を心配していましたが、大宰府へお下りの途中、天神様は道明寺の門前で暗殺されそうになります。この時どこから現れたか刺客を蹴散らして天神様をお救いしたのが、他ならぬその白い牛でした。
また、天神様のご遺言に「お墓の事は牛が知っているから、その牛の赴く所に葬る様に」とあったところ、葬儀の牛車は安楽寺で止まったのでそこに葬り申し上げました。これが太宰府天満宮の始まりに因むと言われています。
学業成就や
無事の成長に
寄せられる
厚い信仰
昭和五十七年、氏子有志の天満宮崇敬の念厚く、数年後の丑年大祭に備え、多数の協賛を得て奉献されました。
牛は農耕に不可缺として大事にされてきましたが、慌てることなく黙々と、一歩一歩を踏みしめつつ働くことこそ、天神様の思召(おぼしめし)に叶っているのではないでしょうか。
このように、天神様と牛のつながりは大変深く、天神様をお祀りする神社には牛の像が多く見られます。永谷天満宮にも手水舎のとなりにひっそりと「神牛」がお座りになっています。
現在では学業成就を祈願する学生や、お子様の無事成長を祈願し「神牛像」の鼻を撫でる方が多く当宮へ来られます。天神様もご自身が大変慈しんだ牛が、時を経た今でもこのように厚い信仰が寄せられている様子をお喜びになりながらご覧になられていることでしょう。
これからもこの姿を大切に守り続けたいと思います。
(参考文献:『天神さまと上永谷』平成元年3月17日発行)