永谷天満宮について

ごあいさつ

ごあいさつ

 天神様は「わらべうた」にも歌われているように、日本全国で親しまれ崇敬されています。それは学問の神様とされる菅原道真公のように、清く正直な人になりたいという日本人の自然な心のあらわれなのではないかと思います。
 「日本三躰永谷天満宮」は菅原道真公の御自作の御神像をおまつりする由緒正しきお宮です。現在も合格祈願をはじめ、お子様の無事成長を祈るご家族等、多くの方々がお参りに訪れます。当宮へのお参りから、私どもの祖先が大切に守り伝えてきた菅原道真公の御事績(ごじせき)を身近にお感じ頂き、大神様の御照覧(ごしょうらん)のもと清々しい毎日をお過ごし下さい。

日本三躰 永谷天満宮 宮司 川辺浩司

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永谷天満宮の御由緒

永谷天満宮の御由緒〜学問の神様、菅原道真公ゆかり〜

永谷天満宮の御由緒

永谷天満宮の御由緒

御祭神
菅原道真朝臣命(すがわらのみちざねあそんのみこと)
※御神体菅相亟道真公御自作一寸八分の御木像
御由緒
 相模国永谷郷(現在の上永谷ほか)座の天満大自在天神の御祭神である菅原道真公は、第六十代醍醐天皇の昌泰二年(899)、右大将に任ぜられた。
 道真公は更に、昌泰四年(901)年正月七日には従二位にも叙せられたが、その月二十五日に、筑紫の大宰府(福岡県)に員外帥(定員外の役人)として左遷されてしまった。
 道真公は大宰府に着任した翌年、鏡に向かってご自身の姿を三躰の木像に彫刻した。そしてその内の一躰は秀才淳茂に、一躰は筑紫大宰府安楽寺に、残る一躰は河内国(大阪府)土師村道明寺に安置されたのである。
 その後道真公は、延喜三年(903)二月二十五日、大宰府に於いて五十九歳で薨じている。

 
 さて、五男淳茂公は、はじめ播磨国(兵庫県)に配流となったが、後に関東に下向して永谷郷の下の坊に居館を構え、道真公自刻の御尊像を奉祀して朝夕崇拝したことが、永谷天満宮のはじまりであると伝えられている。
 その後御神躰は、菅原文時、藤原道長、上杉金吾らに伝わり、明応二年(1493)二月のある夜、相模八ヵ郷の領主、上杉刑部太夫、藤原乗国が霊夢を見たことをきっかけに、天満宮の社殿を造営し、御神躰を安置し奉った。天文十二年(1543)に宅間伊織之亮、藤原綱頼が社殿を修造し、天正十年(1582)に宅間規富は宮社を再築している。
 明治六年、村社となった永谷天満宮は、明治四十四年四月三十日に神饌幣帛料供進神社に指定された。
 御創建から五百余年、永谷天満宮は現在も多くの参拝者に親しまれ、霊験あらたかに私たちを見守り続けている。

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永谷天満宮氏子会

永谷天満宮氏子会〜天神信仰を未来に受け継ぐために〜

永谷天満宮氏子会

永谷天満宮氏子会

 

 当宮の御祭神である菅原道真公は「学問・至誠の神」であります。その御神徳を広く世に広め、天神様の御事績にならう『天神信仰』に基づき、神社を維持管理することを目的として昭和五十年に設立されました。
 設立以来三十余年、日々の弛まぬ奉仕活動により、現在では約650世帯が加入しています。

<主な活動内容>
◎清掃奉仕
 毎月二回、当宮境内で神社清掃と山清掃を行い、参拝者の皆様が清々しくお詣り頂ける環境づくりに取り組んでおります。
 清掃奉仕開始時間⇒午前八時半(4~10月) 午前九時(11~3月)

◎祭典準備
 御祭神と地域の皆様のために、氏子会員が力を合わせてお祭りに向けた準備等を行います。
 茅の輪づくり、例祭(子供みこし・奉納演芸大会)、年末年始の甘酒接待等、参拝者の皆様に快くお詣り頂けるよう努めております。

 永谷天満宮氏子会では新規会員、活動にご協力頂ける方をお待ちしております。
 詳しくは永谷天満宮社務所までお問い合わせ下さい。
 ○お問い合わせ 永谷天満宮社務所 TEL:045-844-7244

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永谷天神囃子

永谷天神囃子〜氏子地域に伝統の音を奏でる〜

永谷天神囃子

 
 昭和五十五年に氏子青年有志により発足。
 天満宮の祭事はもとより、学校や各町内をはじめ、様々な地域活動でその伝統の力を披露し、皆様の心を楽しませています。
 また平成二十八年二月からは、地域の児童さんと天満宮の神職も稽古を始めるようになりました。

○稽古日 毎週火曜日 午後7時半より(都合によりお休みの日がございます)
○稽古場所 永谷天満宮神楽殿
○活動内容 天満宮祭事での囃子奉納、学校出前授業、町内会・福祉施設演奏、
正月町内演奏等
○お問い合わせ 永谷天満宮社務所 TEL:045-844-7244

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コラム 天神様のおはなし

コラム 天神様のおはなし

天神様と牛

「天神様と牛」〜天神様と牛にちなむ二つのおはなしから〜

 天神様(菅原道真公)は、おとなしい白い牛を飼っていました。しかし、大宰府(だざいふ)へ左遷(させん)の発令とともにその牛の行方が不意に分からなくなります。
 天神様はその牛の行方を心配していましたが、大宰府へお下りの途中、天神様は道明寺の門前で暗殺されそうになります。この時どこから現れたか刺客を蹴散らして天神様をお救いしたのが、他ならぬその白い牛でした。
 又、天神様のご遺言に「お墓の事は牛が知っているから、その牛の赴く所に葬る様に」とあったところ、葬儀の牛車は安楽寺で止まったのでそこに葬り申し上げました。

 
 このように、天神様と牛のつながりは大変深く、天神様をお祀りする神社には牛の像が多く見られます。永谷天満宮にも手水舎のとなりにひっそりと「神牛」がお座りになっています。
 現在では学業成就を祈願する学生や、お子様の無事成長を祈願し「神牛像」の鼻を撫でる方が多く当宮へ来られます。天神様もご自身が大変慈しんだ牛が、時を経た今でもこのように厚い信仰が寄せられている様子をお喜びになりながらご覧になられていることでしょう。
 これからもこの姿を大切に守り続けたいと思います。

〔参考文献〕『天神さまと上永谷』平成元年3月17日発行

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