新着情報

平成29年3月23日(木)
三月二十五日に春季例祭が斎行されます。

 来たる三月二十五日(土、大安)の午後二時より、当宮御本殿にて永谷天満宮春季例祭が斎行されます。
九月の秋季例祭と並び、当宮では大きな一つの節目としての祭典になります。当日は神楽殿にて永谷天神囃子の奉納もございますので、普段とは異なる境内の雰囲気を味わうことが出来るでしょう。

また現在、天神山のソメイヨシノも多くの蕾を付けており、僅かながらに花を咲かせ始めました。これから日に日に増して行く太陽と大地の力を得て、今年も優美な桜を楽しませてくれそうです。

春季例祭はご予約不要にてどなた様でもご参列頂けますので、よき門出の春となりますよう、当日はぜひお詣り下さい。

          昼下がりの境内も、瑞々しい春の陽光で溢れんばかりになりました。

平成29年3月9日(木)
今一度。

 先月一杯は豊潤に花開いていた当宮の河津桜も、今では明るい緑が美しい葉桜へと変わり、天神山では桃色の花びらが絨毯のように、今までとは形を変えて参拝者の方の目を楽しませてくれるようになりました。
 それだけではなく、現在天神山右側入口では更に、真紅の椿が美しく咲いています。

 この椿の花、どのようにして散るのかと申しますと、ある時突然、ぽとり、と呆気なく落ちてしまうのです。
 落ちた後の椿の花にはまだ強い赤色が色濃く残っていて、それはそれで情趣がございますが、優しい春の風に、ひらひらと悠揚に花びらを舞わせる散り際の河津桜とはまるで趣が異なります。
 命が絶え行く同様の意味の瞬間でも、花と云う同じ種であるとは云え、それは打楽器と弦楽器のように、根本から異なる様を表現しているように思えます。
 全ての生き物には避けられぬ生命のサイクルがございますが、桜や椿の散り際を備に見据えると、それらに向かい合ういずれの時の心持を考えさせられます。

 さて、少し話は逸れますが、枯れて行く花々や緑に限らず、無機質な物体でも、そもそも物が地面に落ちると云うことは、地球との間に引力が働いているからに他なりません。
 これを仔細に述べるならば、17世紀のイギリスに於いて、アイザック・ニュートンが「万有引力の法則」を定式化したからであり、それはやがて世界の真実として根付き、一般の人々にも周知されて行った、と云うことも出来るのでしょう。
 では、その事実が中世のヨーロッパに於いて発見されるまでは、一体何が世界の真実だったのでしょうか。
 実はそれまでの考え方の一つとして、物には魂が宿っており、それが成熟することによって果物や木の葉などは地面に落ちる、と人々には信じられていたのです。
 科学技術が圧巻する現代では考えられないようなお話ですが、しかし当時の人々にとってはそれが大いなる真実でありました。

 ですが、今一度一歩引いてその事実をよくよく考えてみると、「物が落ちる」と云う一つの事実に於いては、万有引力の法則だろうと、魂が成熟する考え方だろうと本当は、差異は無いのです。
 言い換えれば、それに何が起こったかを観察した時、或いはその現象を受け入れる時の解釈が違うだけ、とも言えます。
 前述したような桜や椿が散り行く時も、それらの命が絶たれてしまうことに変わりはありませんが、花々の多様な散り方を見て、それらから何かを学んだり受け入れたりする時の解釈は、見る人によって千差万別なのです。

 明後日には東日本大震災から六年を迎え、そして更に十日も過ぎれば「春分」を過ぎ、夜よりも昼間が徐々に長くなる毎に太陽の力はまた強く増して来る日々がやって来ます。
 暗澹な出来事があっても、それをどのように受け入れ、解釈するかによってその後の未来は大きく変わります。
 命が汪溢する春を迎える直前の今、ご自身の周りや自然を、改めてゆっくりと見直してみては如何でしょうか。

平成29年3月5日(日)
春、間近。 永谷天満宮 猫の巻~其の三~

 今日は二十四節気で云うところの「啓蟄(けいちつ)」にあたります。寒い冬の間、地中で冬眠し、力を蓄えていた虫たちがこの日を境に徐々に地上に出て来ることを意味します。

       天神山では、早くも可愛らしいタンポポが参拝者の方の心を和ませてくれています。
                   ですが朝晩は……。

                 まだまだ寒い日が多いゼ。

平成29年3月1日(水)
ついに完成致しました!!

 日本三躰 永谷天満宮オリジナルの動画がついに完成致しました。
動画は当宮ホームページHOME画面下にございます。再生時間15秒の中に鮮明な情報を凝縮しておりますので、デジタルな当宮の雰囲気をどうぞお楽しみ下さい。

 さて、今月二十五日(土、大安)午後二時より、当宮御本殿にて春季例祭が斎行されます。その頃の境内は春の神域として、多くのソメイヨシノやヤマザクラが優美な花を咲かせ始めていることでしょう。
 春季例祭はご予約不要にてどなた様でもご参列頂けます。新しい穏やかな春を迎えるよき節目として、当日はぜひご参列下さい。

平成29年2月23日(木)
毎月二十五日は……。

来たる二月二十五日(土、大安)午後四時より、当宮御本殿にて「月例祭」を執行致します。
月例祭は月ごとに、永谷天満宮の大神様に日々の御加護を感謝し、地域の発展と平和を皆様とご一緒にご祈念する祭事です。
毎月二十五日の午後四時より御本殿にて執行され、どなた様でもご参列頂けます。(但し、九月の秋季例祭並びに三月の春季例祭は、共に午後二時からの斎行となります。)

殊に、二十五日は天神様、即ち御祭神である菅原道真公とゆかりのある日とされ、それは道真公がお生まれになった日であると同時に、御神忌(ご命日)でもあります。(お誕生は、承和十二年六月二十五日であり、御神忌は、延喜三年二月二十五日とされています。承和、延喜共に当時の日本の元号の呼び名です。)

神社に沢山の人々がお集まりになり、賑やかになるのは大神様にとっても大変喜ばしいことです。
月例祭への参列はご予約不要となっておりますので、皆様も是非一度ご参列下さい。

平成29年2月19日(日)
アナタはどんな桜がお好みかしら??

 関東地方では一昨日、春一番が吹きました。当宮でも終日春を先取りしたような暖かさと香りに境内は包まれ、それによって桜の開花具合がより一層増しました。
 さて現在の天神山の桜はどこまで花開いているでしょうか……。早速見て参りましょう。


  まずは天神山入口近くの桜です。淡い桃色のレースカーテンのように参拝者の方をお出迎え致します。

 そしてその先には、綿あめのようにモコモコとした桜のトンネルが続きます。この時季の当宮でしか味わえません。

 枝に止まっているメジロを見つけました。黒目はぱっちり、ちょこちょこと動く様は何と可愛らしい。ずっと観察していても飽きません。
       「おお、この世には、小鳥ほど美しくて可愛らしい生き物はいないのです!!」
                      F.ドストエフスキー著「白痴」 ――ムイシュキン公爵

            吾輩はメジロである。上等な花蜜を味わっているのである。

 こちらは山頂付近から見下ろした様子です。奥には桜と白梅が写り、その手前には去年色彩豊かな花々を咲かせてくれた紫陽花の枝が写されています。
 今ではすっかり鳶色に枯れ果ててしまったかのように見えますが、よく見ると枝々の先には、新しい命の緑の芽をつけ始めています。
 この紫陽花に限らず、寂寞と凋落してしまったように見える今の時季の植物は皆、命を絶やしてそれまでではなく、瑞々しい再生の春に向かって確かな準備をしているのです。

 桜だけではなく、寒冷な日々の中でも、梅は美しい花々を見事に咲かせます。
 心が癒されると同時に、私ども人間も、このような自然の様に学ぶことが多々ある気がしてなりません。

 同じ桜の中でも、一日の中で変化する陽光によってその見方は変わって来ます。中央に写る桜はより純化され、穏やかな白い行燈のように佇んでいます。
 
 昨日で二十四節気は「雨水(うすい)」を迎えました。荒涼とした真冬の土も微かに水気を帯び始め、日増しに春の萌芽を見せ始めています。
 麗しい春の到来まで、あと少しです。

平成29年2月16日(木)
アナタはどんな梅がお好みかしら??

 当宮の境内では河津桜の他、現在多くの梅が見頃を迎えています。本日はそれらの様子をご紹介致しましょう。


 まずは駐車場に咲く真紅色の梅の様子。強い印象の色合いだけあり、澄明な青空によく映えます。また実際に目にすると、和菓子のように、そおっと摘んでみたくなる可愛らしさをしていますよ。


 こちらは駐車場から上がる階段脇に咲く白梅の様子です。よく目を凝らして見ると、一つ一つが、筆先のように繊細な形をしています。


 もう少し上がったところに咲く梅を見つけました。非常に薄い桃色をしており、他の梅に比べて開花は遅く、最近になって花を咲かせ始めました。


 最後にこちらは、御本殿に続く階段脇の大きな梅の花です。年に一度の生命を惜しみなく溢れ出しているかのように、全ての花が確実に日々まだまだ成長しています。

 ご紹介した梅の花々以外にも、境内を散策したり、天神山に登ればそこではまた一味違った情趣の梅がお楽しみ頂けます。
 よく澄んだ晴れた日には、山頂から克明な富士山の姿を望むことも出来ますよ。

平成29年2月13日(月)
「節分祭」が執り行われました。

 去る二月三日(金)午後一時より、当宮にて節分祭が執り行われました。
 当日は氏子崇敬者の皆様の他にも、地元の小学生の児童さん達が二百人近く見学に来られ、一般の方々と合わせて約五百人以上の参拝者の方にご参列頂きました。


氏子会の方々が組んで下さった櫓(やぐら)から、酉年(とりどし)である年男、年女の他、氏子会、神職、永谷天神囃子など、沢山の奉仕者が「鬼は外、福は内」の大きなかけ声と共に、勢いよく豆を撒きました。

                    この手の中には、豆が……!!

 撒かれた豆は、地域の子供達をはじめとした、多くの参拝者の方々の手に渡り、それが一段落すると、写真のように作りたての豚汁が皆様に振る舞われました。寒い中、身体がぽかぽかと温まります。

 当宮の境内では、淡紅色の河津桜がちょうど見頃を迎えております。天神山にて一足早い麗かな春の息吹を体感されてみては如何でしょうか。

平成29年2月1日(水)
節分祭、執行。 二回目の予告、そして

 来たる二月三日(金)午後一時より、当宮にて「節分祭」を執行致します。
 当日は御本殿にて祭典を執り行った後、神楽殿前にて、酉年の年男、年女の皆様による「豆まき」を行います。
 立春前のよき節目として、当日はぜひご参列下さい。

 さて、今年も二月に入り、当宮の河津桜は早くも花が咲き始めました。
 上の写真は天神山山頂付近の様子。淡い桃色の桜が、澄んだ冬の青空によく映えます。

 そして紅白の梅の花も、綿毛のようにぽわぽわと大きく咲き、更に空に伸びている濃緑の枝と白梅がマッチして、実際にまじまじと観察すると何だか未知の生物を想起させます。

 見知らぬ、白梅

平成29年1月27日(金)
永谷天満宮「節分祭(せつぶんさい)」執行のお知らせ

 来たる二月三日午後一時より、当宮御本殿にて「節分祭(せつぶんさい)」を執り行います。
 当日は御本殿での祭典の後、神楽殿前の舞台で豆まきを開始致します。
 例年、多くの方がお詣りに来られますので、小さなお子様がご参加の際には、何卒保護者様ご同伴にてお願い申し上げます。

 尚、豆まき奉仕者である酉年の年男、年女の皆様も募集しております。詳しくは永谷天満宮社務所までお問合せ下さい。
 当日は多くの皆様のご参拝をお待ち申し上げております。

                   ◆◆永谷天満宮社務所◆◆
           TEL 045-844-7244(午前九時~午後五時) FAX 045-342-5190

平成29年1月26日(木)
「さいと焼き」が執り行われました。

 去る一月十四日(日)午前十時より、永谷天満宮境内にて「さいと焼き」が執り行われました。
 この神事には、門松などのお正月飾りによってお迎えしたその年の神様を炎によってお見送りする意味合いがあり、地域によっては、「どんど焼き」、「左義長(さぎちょう)」と呼ばれたりもします。

 当宮境内にも祭壇が組まれると、神様に対する供物である神饌(しんせん)をお供えし、宮司が祝詞を奏上した後、清らかな炎は焚かれました。
 空気が澄んでいることから炎はあっという間に大きく広がり、多くの参拝者の方々が豁然とした青空に向かって、一年間お世話になった神様たちをお見送り致しました。

 先日で二十四節気は「大寒」を迎え、来月二月三日「節分」の翌日には、「立春」が訪れます。かつての日本ではこの立春を現在で云うところの元旦とし、一年の始まりとして定めていました。その漢字二文字だけでも、瑞々しい春の輪郭をぼんやりと感じさせてくれます。

 ですが辺りを見回しても、鳶色の木々とその枝々、そしてそれをひゅうっと抜ける鋭い風、なるほど果たして今の季節はまだまだ春には程遠く……。
 しかし、目には見えませんが、土の中では麗かな春に向けて、僅かずつながら変化が起きています。
 自然のこと微細なところまで目を凝らせば、真冬に咲く向日葵に出会えることもあるのかもしれません。

平成29年1月13日(金)
明日は「さいと焼き」を執り行います。

 明日の午前十時より、当宮境内にて「さいと焼き」を執り行います。
 これは一年間お護り頂いたお札やお守り、お正月飾りなどを神聖な炎によって見送り、お焚き上げをする神事です。
 どなた様でもご参列頂けますので、感謝のしるしとして当宮にお詣り下さい。

 当日は、写真のようなカラフルなお団子も焼き上げます。

平成29年1月12日(木)
平成二十九年新春初詣の様子

 明けましておめでとうございます。穏やかな気候のもと、平成二十九年は丁酉年(ひのととりどし)を無事迎えました。
 今年の三が日も麗かな陽気に恵まれ、当宮にも沢山の方々にお詣り頂きました。
 その様子を幾枚かの写真にてご紹介致します。

 まずは御本殿に続く参道の様子。境内は新たな年の光に包まれ、朝早くから多くの参拝者の方が並んでいる様子が見受けられます。

 その列は鳥居の外まで長く続いていました。毎年元日は夜になっても中々列が途絶えることはありません。

 こちらは御守りなどをお頒かちしている授与所前の様子です。まだ昼の暖かさを迎える前から多くの方々で賑っていました。

 焚き火にあたって身体はぽかぽか。更に永谷天満宮氏子会の方々が、参拝者の皆様に甘酒を振る舞って下さいました。

    一月は同時に受験シーズンでもあります。絵馬掛けには既に多くの御奉納がありました。
 

     夕刻を過ぎても、多くの参拝者の方々により、境内は明るくすらあります。


 元日の早朝には清新な空気のもと、天神山山頂から霊峰富士を克明に望むことが出来ました。
 
 今年一年の安穏を祈願し、氏神様への挨拶と共に新年の当宮にお詣り下さい。

平成28年12月21日(木)
冬至を迎えました。

 今年も残すところあと十日。今日は、この時季にしては暖かな空気と陽光に境内は包まれております。

 さて、今日は「二十四節気(にじゅうしせっき)」(※二十四節気については、今年1/22付けの新着情報をご参照下さい)で云うところの「冬至(とうじ)」に当たります。
 この日、太陽は南半球の最も遠い点を通るため、北半球に住む私どもから見て、正午の太陽の高さは最も低くなり、そのため昼が一年で一番短く、また夜は一年で最も長くなる日になります。

 また太陽の力が一番弱まる日であるともされていますが、同時に翌日から僅かずつながら、太陽の力が再び増して来る日でもあるので、運が向いて来る節目の日とも云われております。
 今では私ども日本人の生活にも馴染みの深い「クリスマス」も、本来は古くは北欧にて、太陽の復活を願う冬至の祭りが起源と伝えられています。
  そしてこの冬至の日には、「冬至カボチャ」、「柚子湯」などで無病息災を願う風習が、現代の日本でも広く見受けられます。

 この冬至を始めとした二十四節気は古代中国で考案され、日本では飛鳥時代頃から取り入れられました。
  もちろん当時の日本や中国にも、私どもの現代の生活に根付くパソコン、テレビ、エアコン、冷蔵庫などの電化製品はもちろんのこと、電気やガス、インターネットなどは存在しておらず、それの根幹を成す科学技術、即ち量子力学や近代物理学よりももっと前の、ニュートン力学に於ける運動方程式や、それを記述する基礎数学すら成立しておりません。

 場合によっては、暦の節目や各地の風習などを、迷信の類などと現代では捉える方もいらっしゃるかもしれませんが、これだけ近代科学が身近にありながら、未だに例えば節分の「鰯の頭」や先に記述した「柚子湯」などの風習が、きちんと生活の中に、広く生きていると云うことは、実は驚くような事実なのかもしれません。

        温故知新。故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師となるべし。

 古い言い伝えだから迷信だ、などと簡単に言い切らず、謙虚な姿勢で、時には忍耐強く、長い歴史のある風習や民話などを学べば、やがて新しい発見や、それ以上のことにも繋がります。そして同時に、それだけの歴史があると云うことは、何かしらの理由も存在することを意味します。

 人間もまた同じで、見た目や職業、学歴などの肩書は、単なる目安の一つに過ぎず、そればかりに縛られ、相手をこう云う人間だと安易に決めつけてしまうと、時に誤解を生じたり、やがて争い事に発展してしまうこともあります。
 芸術の大家や、一流のアスリートは、相手やその作品を敬い、リスペクトの念があるからこそ、その道を導く師と自然になるのです。

 今年一年も、新聞やテレビでは悪くも賑わす話題が、国内外問わず多くございました。それは上記のような理由から発展した争い事も多くあるのかもしれません。
 人や自然には、簡単には目に見えない背景、部分があります。
 自らが一歩引き、余裕のある大きな視点から相手や周りを見渡すことが、よい来年に繋がるきっかけとなるでしょう。

 一番上の写真には、当宮の駐車場が写されております。ご覧のようにはっきりとした白線を、先日氏子会の方が綺麗に引いて下さいました。
 このアスファルトの見えない下でも、冬至を迎えた今日から、瑞々しい春の再生に向けて、眠っていた土と種、虫たちが徐々に活動を始めます。

平成28年12月5日(月)
平成二十九年新春初詣のお知らせ

 
 早いもので今年も残りひと月となりました。皆様の今年一年はどのような年になりましたでしょうか。
 来年もご家族やご友人の方々と安穏な生活が送れますよう、お正月は当宮にて祈願致しましょう。
 以下に平成二十九年の新春初詣情報を記載致しますので、お詣りの際はご参考になさって下さい。

                     ≪ 参拝時間 ≫
               〇1月1日    午前0時~午後5時30分
               〇1月2日~4日 午前8時~午後5時30分
               〇1月5日以降  午前9時~午後4時30分
        ◆上記は御本殿正面扉の開扉時間です。上記時間帯以外でもご参拝頂けます◆

                     ≪ 御守授与 ≫
               〇1月1日    午前0時~午後5時30分
               〇1月2日~4日 午前8時~午後5時30分
               〇1月5日以降  午前9時~午後5時

                     ≪ 祈祷受付 ≫
               〇1月1日    午前8時~午後4時
               〇1月2日~7日 午前9時~午後4時
           ◆上記時間帯はご予約不要にて随時お受け致します◆
               〇1月8日以降 午前9時~午後4時(8日以降はご予約可能となります)

 大晦日の午後4時からは「年越しの大祓」、元日午前6時からは御本殿にて「歳旦祭」を執り行います。どなた様でもご参列頂けますので、是非お詣り下さい。
 尚、「さいと焼き」は1月14日(土)午前10時からの執行となります。

                     ≪ 甘酒接待 ≫
               〇1月1日(夜)   午前0時~午前2時半30分頃
               〇1月1日~3日  午前10時頃~午後3時頃
                  ◆無くなり次第終了となります◆

 一月中は三が日を中心に、多くの方がご参拝されるため、お越しの際は公共交通機関か、お車の方は上永谷駅周辺の有料駐車場をご利用頂きますよう宜しくお願い申し上げます。
 その他、ご不明な点等ございましたら、当宮社務所までお問合せ下さい。

            永谷天満宮社務所 TEL 045-844-7244(午前9時~午後5時)

平成28年12月4日(日)
黄金の雪解け

 先月二十四日は、十一月としては五十四年振りに関東地方での降雪となった様子です。
 当宮も例外ではなく、特に午前中は強い風と共に極寒の空気に境内は包まれました。上の写真はその時の様子です。
 紅葉に彩られた境内も、この日ばかりは辺り一面が白い雪によって染められました。

 さて、一般的に地中で長い時が過ぎると、やがて美しい鉱物が産出されます。
 当宮の雪もすっかり解けて無くなると、そこには琥珀色に輝くイチョウの木が新たに姿を現しました。

 今日の境内にも暖かい陽光が差し込み、のどかな農村を想わせるような空気と時間が流れています。

平成28年11月7日(木)
永谷天満宮~七五三の巻~

 今日で立冬を迎え、境内の日差しや風はすっかり冬相応のものとなりました。今月に入り、境内は沢山の七五三の祝い子様たちで賑い始めています。
 特に先日の土日祝日は透き通るような晴天にも恵まれ、境内は心地好い程にきらきらと輝いておりました。その様子を幾枚かの写真にてご紹介致しましょう。

 まずは社務所前からの様子です。七五三の御祈祷をお受けになる方は、社務所前の机にて受付用紙をご記入の上、社務所の神主にご提出頂いております。その隣にはおみくじもご用意していますよ!!

  朝早くから祝い子様とご家族の方々がお詣りに来られました。じんわりと暖かな陽光が境内を包みます。

            お昼近くになると、お詣りの方々も続々と増えて来ます。

 今年の10、11月の土日祝日は、プロのカメラマンさんにもお越し頂いています。受付は社務所近くの白い机にて行っておりますので、お気軽にお声掛け下さい。


  
         11/13(日)はお囃子の奉納もあります。去る3日(木)には小さな獅子も……。

 例年当宮での七五三の御祈祷は、土日祝日のお昼過ぎまでが大変混み合い、午後になると比較的空き始めます。
 この次の土日も晴天が見込めそうですね。多くの祝い子様のお詣りをお待ち申し上げております。

平成28年10月27日(木)
七五三シーズン間近です。

 秋も日増しに深まり、朝晩は肌寒さを覚えるほどの季節になりました。11月はもう目前です。
 さて、10、11月と言えば、当宮でも七五三の祝い子様たちで大変賑う季節になります。上の写真は先週の日曜日に撮影したものですが、ぽかぽかとした秋晴れのもと、この日は多くの祝い子様にお詣り頂きました。

 今週29日(土)からは、当宮にもプロのカメラマンさんが来て、祝い子様を始めとしたご家族皆様のお写真を撮影致します。
 詳細は下記アドレス先をご参照下さい。

             ◆◆↓↓カマクラフォトグラフィ  ホームページ↓↓◆◆
                http://kamakuraphoto.com/index.html

平成28年9月30日(金)
平成二十八年 永谷天満宮 秋季例祭が斎行されました。

 去る九月二十四、二十五日に、平成二十八年 永谷天満宮 秋季例祭が斎行されました。
 二十四日の午前十時からは子供神輿渡御、また同日午後六時からは宵宮並びに奉納演芸大会が、そして二十五日の午後二時からは御本殿にて祭典が斎行されました。

 二十四日はあいにくの雨模様ではございましたが、その中でも二百人近いご参拝の方々にお越し頂き、また二十五日の祭典でも、氏子会崇敬者並びに永谷天神囃子の皆様の他、地域の小学校の児童さんもご参列されました。

 当宮では、今回斎行された秋季例祭の他、毎年二十五日の午後四時より「月例祭」を御本殿にて執り行っております。
 どなた様でもご参列頂けますので、月に一度のよき節目の神事として是非お詣り下さい。

平成28年8月12日(金)
自然の移ろい

 御本殿に続く階段脇の濃緑の植物の一部分が、不思議と対称的に黄色く色付いておりました。
 日中はまだまだ暑いながらも暦の上では立秋を過ぎ、ほんの僅かずつでも秋の気配を見せ始めているのでしょうか。それともただ単に西陽が強いだけなのか……。この時季の夕方の境内では赤トンボを見掛けることもございます。

 そして、その植物の下ではじっと蛇が構え、獲物を捕らえた炯眼の先には、褐色の蝉の抜け殻が葉に留まったままの状態で残されていました。

 何処と無く、自然の儚さを感じさせます。
 

平成28年7月29日(金)
梅雨明け、天神だけ

 昨日の午前、気象庁より関東地方は梅雨明けしたとの発表がありました。
 煩わしい雨の日々も過ぎ去り、靄が掛かったかのような曖昧な空は、純乎な青空へと姿を変えました。当宮の境内にも、写真のように夏の陽光が一直線に射し込んでいます。

 
 ……と同時に、雨と湿気の日々から昨年よりも早く「天神ダケ」が姿を現しました!!(昨年九月新着情報参照)

                てんじんだけが あらわれた!

平成28年7月14日(木)
永谷天満宮 猫の巻~其の二~

                      暑いゼ。

平成28年7月5日(火)
大祓式が執り行われました。

去る六月三十日(木)午後四時より、当宮境内にて大祓式が執り行われました。
平日の炎天にも関わらず、約二百五十名の方々にご参列を頂き、境内は大変な賑わいを見せました。

祭典では神職による先導のもと、ご参列の皆様方と大祓詞を奏上し、切幣(きりぬさ)で心身を清め、人形(ひとがた)に半年間の罪、穢れを移した後、大きな茅の輪をくぐりました。
茅の輪をくぐった後は、多くの方々が御本殿でお参りをされると共に、カラフルな七夕の短冊にそれぞれのお願い事を示されて行きました。

今年もあと半年です。これから暑さは益々厳しくなって来ますが、酷暑に負けず、心身の健康を旨とし、残りの半年間を無病息災で過ごしましょう。

平成28年6月29日(水)
夏越(なごし)の大祓に向けて~コラム其の三~

  明日の午後四時より当宮境内にて執り行われる「夏越の大祓」に向けて、本日はコラム最終回として 「茅の輪くぐり」や「人形」を始めとした民間神事としての大祓、また当宮での大祓祭典当日の流れなどをご説明したいと思います。

 昨今ではこの時季になると、青々とした茅(ちがや)の葉で作られた「茅の輪(ちのわ)」が全国の神社で見受けられます。
 古来より邪気を祓う力があると伝えられている茅の葉で作られた茅の輪をくぐることで、半年間の罪、穢れを祓い、また清新な心身に立ち返り、残りの半年間を過ごす、と云うことが夏越の大祓の枢要な意味でもあります。

 ところでこの茅の葉と云うのは、湿気が充満する中の濃緑を想起させるような、むっとした独特な匂いがします。
 日本では昔から強い臭気を発するものは、邪気を祓う力があると言われておりました。
 例えば、空高く鯉のぼりを上げる「端午の節句」で欠かせない菖蒲(しょうぶ)もその一つと云えます。この風習は現代でも全国で見受けられ、菖蒲を湯船に浮かべて浸かり、無病息災を願います。

 また二月の「節分」の際に、柊(ひいらぎ)の小枝に鰯(いわし)の頭を刺して戸口などに掲げることも同様な意味があります。鰯の頭からは強い臭気が放たれますが、それによって鬼、即ち邪気の侵入を防いだのです。

 さて、この茅の葉で作られた「茅の輪」の由来ですが、こちらは奈良時代に編纂された風土記(ふどき)である「備後国風土記(びんごのくにふどき)」に認めることが出来ます。
 「風土記」とは、奈良時代に日本各地の地理や風習を地域ごとにまとめ、当時の天皇陛下に献上した書物のことを言い、「備後国」は現在の広島県辺りのことを差しました。
 その中に、「蘇民将来(そみんしょうらい)」の逸話があります。ここでその逸話をご紹介致しましょう。

 「蘇民将来」の逸話の中に、「スサノオノミコト」と呼ばれる神様が登場致します。皇室の祖神である「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の弟でもあり、ヤマタノオロチを退治した剛健な神様としても有名です。
 スサノオノミコト(以下スサノオ)はある時旅をしていると、その日に泊まる宿が見つからなくなってしまいました。辺りは既に薄暗くなって来ています。
 スサノオはふと前を見ると、そこには森の中に大きな家がありました。その家主は「巨旦将来(こたんしょうらい)」と云い、地域で一番のお金持ちでありました。
 スサノオは巨旦将来に今晩泊めて欲しいとのお願いをするのですが、その時にスサノオが汚れた着物を纏っていたことなどを理由に断られてしまいます。

 困ったスサノオはまたとぼとぼと歩き続けます。すると今度は、先程の家よりはずっと小さな家が見えました。そこの家主は「蘇民将来(そみんしょうらい)」と云い、お金持ちの「巨旦将来」の兄であったのです。
 スサノオは蘇民将来に一晩の宿をお願いすると、蘇民将来は貧しい生活をしていたにも関わらず快くスサノオを迎え入れ、粟(あわ)の藁(わら)を敷いて寝床を作り、粟飯などを用意して手厚くもてなしました。
 スサノオはこれに大変喜ばれ、次の日旅に出発致しました。

 それから月日が経ったある日、スサノオは再び蘇民将来の家を訪れたのですが、その際にスサノオは、「もし、この辺りで疫病が流行るようなことがあれば、茅で輪を作り、それを腰に着けなさい。そうすれば病気に掛かることはない」とお教えになりました。
 しばらくして蘇民将来が住んでいた地域に、本当に疫病が蔓延してしまいましたが、蘇民将来はスサノオの仰った通り、茅で輪を作りそれを腰に身に着けたところ、疫病から逃れることが出来た、と「備後国風土記」には伝えられています。現在の茅の輪くぐりは、このような逸話にちなんでいるのです。

 民間神事としての大祓で、もう一つ大きな役割を持つのが「人形(ひとがた)」の存在です。
こちらを身体に撫で付けて息を吹き掛け、半年間の罪穢れを移して、また清浄な心身に立ち返ると云う意味がありますが、この人形は「形代(かたしろ)」とも呼ばれ、その起源はかなり古く、縄文時代頃に認めることが出来ます。
 縄文時代頃の土偶、そして土器や埴輪も一見ユニークな形をしておりますが、これらも「形代」の原型だと云われており、古代には罪や穢れを移す祓の意味合いよりも、呪術的要素が強かったのではないかと推察されています。
「上巳の節句」で雅やかな姿を見せる「雛人形」も、そもそもの由来は「形代」のような意味合いがありました。
 昔は雛人形も今のように華やかな雰囲気ではなく、単に祓の意味合いが強い人形だったそうですが、江戸時代になるとその人形も宮廷風の作りになり、雛壇に飾るようにして、優美な雛人形へと変遷して行ったのです。

明日の祭典当日では、神職と共にご参列の皆様と「大祓詞」を奏上し、「人形」に罪穢れを移してから「茅の輪」をくぐり、これからの半年間が安寧に過ごせるように願います。
 また祭典に併せ、御祈祷受付時間を明日は十三時半までとさせて頂きます。何卒ご了承下さい。
明日は皆様のお越しをお待ちしております。

 
   ~以下、永谷天満宮 大祓当日にご参列になれない方へのお知らせ~

今月三十日に執り行われる大祓に当日ご参列になれない方を対象に、永谷天満宮では現在御本殿前の机の上に、祓の具である「人形(ひとがた)」を置いてあります。
お清めの方法は人形の置かれている場所に詳しくご紹介しておりますので、ご参拝の折にはそちらをご参照下さい。

平成28年6月28日(火)
茅の輪が完成致しました。

 明後日三十日(火)午後四時より執り行われる「夏越の大祓」に向けて、青々とした茅(ちがや)で作られた「茅の輪(ちのわ)」が先日境内にも設置されました。
 祭典の当日でもご参列の方々と一緒にくぐりますが、それより前や或いは後日になってくぐって頂いても差し支えありません。
 ここで、茅の輪のくぐり方を下記の写真にてご紹介致します。


 また同時に、御本殿前に七夕に向けての笹竹を設置致しました。ご参拝の折には皆様のご祈願をどうぞお示し下さい。
 尚、ご家庭でお作りになられたお飾りも取り付けることが出来ますので、ご用意の際には社務所の神職にお声掛け下さい。

 最後に、昨年の夏越の大祓の様子を写真にてご紹介致しましょう。
 昨年は今年同様平日であったにも係らず、三百人以上の方々にご参列頂き、またお囃子の奉納もあり、大変な賑わいを見せました。


  
         ~以下、永谷天満宮 大祓当日にご参列になれない方へのお知らせ~

 今月三十日に執り行われる大祓に当日ご参列になれない方を対象に、永谷天満宮では現在御本殿前の机の上に、祓の具である「人形(ひとがた)」を置いてあります。
 お清めの方法は人形の置かれている場所に詳しくご紹介しておりますので、ご参拝の折にはそちらをご参照下さい。

平成28年6月23日(木)
夏越(なごし)の大祓に向けて~コラム其の二~

夏越(なごし)の大祓に向けて

 今月三十日に執り行われる「夏越の大祓」に向けて、今回の新着情報では前回の内容を踏まえながら、大祓に関係する単語、概念などを詳しくご紹介して行きたいと思います。

 前回の新着情報内にて、古くから宮中の大祓の際に奏上されていた祝詞を「大祓詞(おおはらえことば)」とご説明致しました。「大祓詞」は別称として、「中臣祓(なかとみのはらえ)」と呼ばれたりもします。
 その理由は、かつての宮中の大祓では、当時の宮中祭祀を司っていた有力豪族であった中臣氏が大祓詞を奏上していたからだと説明出来ます。
 この大祓詞を奏上することで、国民全体の罪、穢れの消滅を願った訳ですが、大祓詞の成立時期には諸説あり、今では一般的に飛鳥時代頃と伝えられています。

 大祓詞の内容としては、まず天皇陛下がどのように古代日本を治められたかを述べ、その後「天つ罪、国つ罪」の列挙があり、そしてそれらの罪がどのように、どのような神々によって消滅されるかが述べられています。
 本来大祓詞は、大祓の際に、その場に集まった人々に対して宣り聞かせるものでありましたが、後に神々に対して奏上する形へと変化して行きました。
 更に時代を経ると、陰陽道や密教と結び付き、ひたすら大祓詞を奏上することで功徳を得られると信じられるようになったりと様々な姿を変え、現在では当宮を含め、多くの神社にて神職が毎朝奏上し、祭典の際には参列者の方々も奏上したりしています。

 さて、その大祓詞の中にて如何に罪が消滅されるかは仔細に述べられておりますが、不思議なことに「穢れ」と云う単語は一文字も出て来ません。
 一般的に夏越の大祓で罪、穢れの消滅を願うとは神社でよく聞きますが、その祭典で奏上する大祓詞の中で「穢れ」が登場しないのには何か理由があるのでしょうか?
 大祓当日に向けて、この部分を多角的な視点から掘り下げて行きたいと思います。

 日本だけではなく、太古の世界では、神々に対する畏敬や恐怖も、全てが大自然の中にあり、混沌と考えられていました。
 つまり、まだ「聖」や「俗」や「ケガレ」と云った概念が明確に分けられておらず、人間が生きて行く上での恵みや糧をもたらすような現象や存在、例えばそれは、晴天であったり、暑気の中の雨であったり、或いは穀物の存在などは、大自然の持つ聖なる力であり、そして穢れの持つ危険で恐ろしい力、噴火や洪水、死や病などもまた、大自然のもう一つの威力の現れとして捉えられていました。
 畢竟、「聖なるもの」も「ケガレ」も、根底の部分では同一であり、大自然の底知れぬ威力の表と裏であったと云うことです。

 それは当時の対人間社会に於いても同様であり、未だ神道の原型も見られぬ縄文時代頃の厳しい大自然の中では、動物や魚、果物などの自然採取の段階であったため、皆が平等な存在として共に助け合って生きて行かなければならず、特定の人間が「聖なる存在」として現れることもなかったのです。

 ところが時代が進みますと、聖や俗や穢れが異なった概念として分化されて行きます。
 そのきっかけは、土地や穀物などの生産物を占有した人間によるクニの形成でした。
 クニが形成されると、そのクニの王自身が「聖なる存在」と化し、逆に王にとって不都合な存在であり、排除と忌避の対象にされたものは、全て「ケガレ」の烙印が押されるようになったのです。

 日本でもやがて、地方豪族が跋扈し、混沌としていたそれぞれのクニが天皇陛下によって日本と云う形を以て統治されると、国家はより整備されて充実し、更に七世紀頃には朝廷によって法や律が細かに規定されるようになりました。
 同時に、前回の新着情報でもご紹介した農耕生活に於ける秩序を乱す行為も、天皇陛下の神聖性を汚す「天つ罪、国つ罪」へと明確に定められ、日本誕生の経緯や天皇陛下による統治の正当性を述べた「古事記」や「日本書紀」、そして大祓詞が誕生するようになったのもこの頃の話です。

 ところで、この時点では大祓詞の中だけではなく、神道自体にも「穢れ」の観念は未だ組み込まれておりません。
 前述した「聖なるもの」と対比して説明した「ケガレ」は、日本の神道に限らず、あくまで太古の世界全体を対象として俯瞰した際に浮かび上がる概念ですので、神道と云う枠組みの中で「穢れ」が登場するのは、もう少し後の時代になってからになります。

 神道では平安時代の頃、特に「死、産、血」を「三不浄(さんふじょう)」と呼び、それらは「穢れ」と定義されておりました。
 すると、平安時代の時点では穢れという概念が日本でも既に生じていたことが推測出来るかと思います。

 それではもう少し時代を遡ってみましょう。前回でもご紹介した大宝元年(701年)に制定された法律の一種である大宝律令の中には、穢れに関する記載はまだ見つかりません。
 しかし、九世紀初頭に成立した伊勢神宮の「皇大神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)」では、血を「阿世(あせ)」と言い換える「忌詞(いみことば)」が確かに記載されてありました。

 神道では言霊(ことだま)の思想から、穢れた言葉は魂を汚すと云う考え方があり、死を「ナオル」、病気を「ヤスミ」、墓を「ツチクレ」などと言い換えて表現しておりました。
 と云うことは、伊勢神宮に関する神事などを撰録した書である「皇大神宮儀式帳」が成立した延暦23年(804年)の時点では、皇室に最も身近な存在である伊勢神宮から、血に対する不浄感が定着し始めたと云うことです。

 この時、伊勢神宮に一番近い存在である皇室に何か変化があったということでしょうか。
 実はこの期間に在位されていた聖武、称徳、桓武天皇を始めとした天皇陛下は皆、神道だけではなく、「仏教」にも関心を持たれていたと云う共通項があります。

 仏教は六世紀半ば、百済から日本に公伝(こうでん)されました。
 北インドで生まれた仏教は「上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)」、「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」の二つの形を成して世界に広まりましたが、日本に伝わったのは大乗仏教の方でありました。
 大乗仏教は、アフガニスタン、中央アジア、中国、韓国を経由し、最終的に日本に行き着いた訳ですが、途中経由した中国では既に巨大な文明が興っており、本来の経典は全て漢訳され、日本に伝わったのは中国文明と云う巨大なフィルターを通した状態での大乗仏教だったのです。

 幾つか例を挙げてみますと、聖武天皇は、東大寺の廬舎那仏像(るしゃなぶつぞう)造立の詔を発せられ、それ以外にも臣下達に一切経(いっさいきょう)と呼ばれる経典の書写を命じられているのですが、その願文の中に、「民(たみ)を安んじ業(ぎょう)を存するは、経史(けいし)の中に釈教(しゃっきょう)最上なり。是に由りて、仰ぎて三宝(さんぽう)に憑(よ)り、一乗(いちじょう)に帰依す」とあります。これはつまり、仏教とは素晴らしい教えであり、私自身は仏教に帰依しますよと仰っている訳です。

 また聖武天皇の娘である称徳天皇は、日本史上、唯一尼さんとして天皇に即位された女帝であります。しかし天皇即位にあたって、仏に使える尼さんが即位大嘗祭を行うことの問題がありました。何故なら大嘗祭(だいじょうさい)は、仏教とは異なる神道の神々をお祀りする儀式であったからです。
 ですがこの時称徳天皇は、「神々を仏から遠ざけ、触れぬものと人々は思っているが、それは違う。経典を見れば、仏法を守護し敬うのは神々とある」と話されたと、「続日本紀(しょくにほんぎ)」には伝えられています。
 つまりここで称徳天皇は、大嘗祭でお祀りされる日本本来の神々を、仏法を守護する神とみなし、だから尼さんが大嘗祭を行うことは何ら不都合なことではないと主張された訳です。

 その他桓武天皇は、大乗仏教の一部とも云える密教に関心を持ち、最澄や空海を唐に派遣したとも云われ、また桓武天皇自身、ある事態から体調を崩される時があったのですが、その際僧侶に般若心経(はんにゃしんぎょう)を読誦してもらうと、快癒したと云う話が伝えられています。

 以上のように、古代の天皇陛下は外来からの宗教にも大変寛容な姿勢を見せ、手厚く保護をされていたのです。
 同時に、今まで神道だけを信仰していたこの国が、飛鳥時代末から奈良時代に至る頃、つまり、穢れの概念が記載されていない大宝律令の制定から、血に対する穢れの観念が確かに記載されている皇大神宮儀式帳が編纂されるまでの間は、皇室を中心に、既に信仰の対象が神道一色だけではなく、それに仏教も大きく加わって来ていたことが分かります。

 そうすると、仏教の中に血に対する穢れの観念があり、それが神道にも影響を及ぼしたのではないか、と云う疑問が生じて来ます。
 要点だけ云えば、北インドで生まれた仏教、つまり日本で云うところの曹洞宗や浄土宗などの派生的な宗派がまだ生じてもいない純粋な仏教思想の中には、穢れと云う概念は存在しておりません。

 「仏教」は紀元前二千五百年頃、北インドにて産声を上げましたが、それから数百年経つ頃には様々な宗派が生まれるに至りました。
 その中には、その後日本にも伝来した「大乗仏教」も含まれており、この大乗仏教が生まれた頃のインドと云うのは、元来インドで信仰されていた「バラモン教」の僧侶達が腐敗し始めて、それを発端として宗教改革が起こり、その結果「ジャイナ教」や「ヒンドゥー教」が後に生まれたのでした。
 この時代に於いては、上記の宗教の思想の区別はあまりなく、混淆とされたものでした。ですので、ある宗教の成立に、別の宗教の思想が関わっていると云った現象が随所に見受けられたのです。

 その中で存在していた大乗仏教の中に、ヒンドゥー教の思想が介入して来ます。
 ヒンドゥー教の思想の中には、「死、産、血」に対する「穢れ」の概念が確かに存在していました。これはつまり、日本での平安時代に於ける「三不浄」のことです。
 これが確かに、やがて日本に伝来される大乗仏教の中に介入し、日本の神道に於いても「穢れ」の概念の元となった訳です。

 ですので「穢れ」と云う概念の元は、仏教が成立したインド国内にあり、更に「穢れ」の概念が元々存在するヒンドゥー教の思想が当時の仏教にも組み込まれ、仏教はその後、中国を経由して六世紀半ば頃に日本に伝わりました。
 やがて仏教は皇室でも受容されるようになりますが、それは「穢れ」の概念も自然と受け入れられることを意味します。
 既に神道が存在し、大祓詞や天つ罪、国つ罪が規定されていた日本でも、穢れの概念がヒンドゥー教から仏教に組み込まれたのと同じようにして、仏教から神道にも大きな影響を及ぼすに至ったのです。

 今回は大祓詞の他、祓の眼目である罪、穢れに関して他の宗教の例を挙げるなど、深いところまで掘り下げてみました。
 次回は、「茅の輪くぐり」や「人形」を始めとした民間神事としての大祓、また当宮での大祓祭典当日の流れもご説明したいと思います。

         ~以下、永谷天満宮 大祓当日にご参列になれない方へのお知らせ~

 今月三十日に執り行われる大祓に当日ご参列になれない方を対象に、永谷天満宮では現在御本殿前の机の上に、祓の具である「人形(ひとがた)」を置いてあります。
 お清めの方法は人形の置かれている場所に詳しくご紹介しておりますので、ご参拝の折にはそちらをご参照下さい。

平成28年6月19日(日)
夏越(なごし)の大祓に向けて~コラム其の一~

夏越(なごし)の大祓に向けて

 今月三十日(木)の午後四時より、当宮境内にて「夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)」が執り行われます。
 この「大祓」と呼ばれる神事は、一般的に全国の神社でも六月末と大晦日の年二回執り行われ、中でも六月末に執行される大祓を、「夏越(なごし)の大祓」と呼びます。

 私どもは日々の生活の中で、つい悪いことを口走ってしまったり、時によくない行いをしてしまいがちですが、それらを神道では「罪(つみ)」や「穢れ(けがれ)」とし、この罪や穢れをお祓いして、また清らかな心身に立ち返り、残りの半年間を安寧に過ごせるよう祈願する神事を「大祓」と云うのです。
 今回から三回に分けて、この大祓の意味、歴史などを新着情報内でご紹介して行きたいと思います。

 さて、大祓とは言ったものの、そもそも「祓(はらえ)」とは一体何でしょうか?
 ここで混同されないように前もってご説明致しますと、「大祓」はあくまで神事の名前でありますので、小さな祓などもあると云う訳ではありません。
 本筋は「祓」そのものにあり、その祓とは、前述したような罪や穢れの消滅を願う意味合いが強い、云わば一種の儀式が由来とされています。

 その起源は大変古く、縄文時代後期~弥生時代頃まで遡ると云われております。
 弥生時代になると当時の日本にも稲作が伝来し、古代日本民族は農耕を営むようになりました。
 お米を始めとした農作物を収穫して生活するには、大きな水田や田植えなどの重労働、つまり一人では到底出来ないような働きが必須となるため、チームワークを大切にした共同体が必要になって来ます。

 その共同体ではまだクニの成立はなく、そして皆が上手にコミュニケーションを取らなければならず、誰かが何かしらの悪いこと、例えば稲を植える水田に、水を引くために備えた溝や管をわざと壊したりするようなことがあれば、水田はきちんと機能をしなくなり、共同体内にも不和を招いて秩序が乱れ、お米が収穫出来なくなってしまいます。
 お米などを食べることが出来なければ、皆が生き抜いて行くことが出来ません。故に、水田の溝や管を壊したりする悪いこと、即ち「罪」を犯した者は、他の人々がいる前で、つまりは公の場にて罰せられることになりました。

 ここで記述した水田の溝や管を壊すなどの罪、つまり農耕生活に於ける共同体の秩序を乱す罪のことを、昔の日本人は「天つ罪(あまつつみ)」と定めました。(但し、実際に「天つ罪」と云う名称が付き、具体的な規定をされたのは、もっと後の時代になってからのことです)
 やがて「天つ罪」は、飛鳥、奈良時代頃になると、「大祓詞(おおはらえことば)」と呼ばれる祝詞の中でも神主によって奏上されるようになり、それは平成の現代に於いても続いています。
 今し方単語として出て来た「大祓詞」に関しては、大祓だけではなく、神道全体に於いても重要な位置を占めますので、次回のコラムにて詳しくご紹介したいと思います。

 そしてもう一つ注目すべき点は、この段階ではまだ「穢れ」と云う単語は登場していないと云うことです。
 昨今では、「罪穢れ」と混同される場面がしばしば見受けられることもございますが、神道に於いて罪と穢れは、本来は全く別の概念であり、神道的視点から云うと、「穢れ」の方が罪よりもずっと後の時代になって生じた概念なのです。これに関しましても、次回のコラムにて改めてご説明致しましょう。

 さて、「天つ罪」を犯してしまった人物は、衆人環視のもと償いをすることになります。当時は現代のような懲役制度はまだ存在しておりませんので、牢屋に入れられるなどではなく、実際に皆の前で罰を受けることになるのです。

 現代では私どもが当たり前のように身に着けている衣類は、当時は手に入りにくい動物の皮や植物で編まれるなどして、厳しい寒さを凌いだりする意味でも大変貴重なものでありました。また身を守る意味では、身体の一部である髪や爪なども同様です。
 古代に於いて天つ罪を犯した者は、衣類や爪などの身体の一部、つまり大変貴重なものを大衆の前で神前に差し出し、罪の消滅を願ったのです。

 そして、「天つ罪」と対になって登場する「国つ罪(くにつつみ)」と呼ばれる罪の概念も、クニが成立してからの後の時代になって登場致しますが、それは主に人が犯してはならない傷害や禁忌、或いは自然災害や先天性の病気などを指しました。
 この「国つ罪」も大祓詞の中に盛り込まれましたが、現代の一般的な罪の観念との違いや差別的表現も含まれるため、現在の大祓詞では、国つ罪の中の具体的な罪名は宣べられておりません。

 さて時代は流れ、クニが成立し、天皇陛下が統治される御代になると、政治や法律などが仔細に整備され、祭祀も国家神道の枠組みのもと執り行われるようになりました。
 それより前の時代には、全国各地でも独自の祭祀が執り行われていたようですが、第四十代天武天皇朝の頃(飛鳥時代後期)、国家神道を確立するために、それまで地方にあった多くの神社、祭祀を国家の管理下に置くようになりました。伊勢神宮を神道世界に於ける中心と定めたのもこの頃だと伝えられております。

 国家神道の管理下に置かれるようになった祭祀の中には、恐らくまだ定型的、組織的に執り行われていない遥か昔からの祓、或いはそれに似た儀式も存在していたのでしょう。
 やがて大宝元年(701年)に制定された大宝律令の中に、宮中の正式な年中行事として定められた「大祓」の単語が登場するようになります。
 そしてその後、天平宝字元年(757年)に施行された養老律令の中で、大祓は六月と十二月の年二回執行するようにと細かに規定されるようになります。

 以後大祓は宮中の祭祀として定期的に執り行われるようになり、応仁元年(1467年)の応仁の乱にて京都市街が荒れ果ててしまうことを契機に一度途絶えてしまいますが、数百年経た後に、明治天皇によって大祓は宮中で再び執り行われるようになったのです。

 ここで述べた大祓とはあくまで宮中の神事を指しますから、全国の神社で執り行われる云わば民間の大祓と比較すると、祭典の様子やその意味も異なって来ます。
 宮中での大祓とは、天皇陛下の他、当時の官僚達が京都の朱雀門広場に集い、大祓詞を奏上して国民全体の罪の消滅を願うことを言いました。
 つまり、民間神事としての「茅の輪(ちのわ)くぐり」や「人形(ひとがた)」などに見受けられる個人的な祓とは異なり、宮中での大祓は、国民全体を対象とした祓の意味合いが大きかったと云うことです。
 そしてそれは、一度は途絶えながらも時代を経て、国民が日々清い生活を送ることが出来るよう、平成の現代でも続けられています。

 以上、祓の歴史や大祓の由来などについてご説明させて頂きました。次回は神道全体の中でも重要なファクターである「大祓詞」や、罪とは異なる穢れの概念などについてご紹介したいと思います。

 ここ数日で急に真夏日を迎えると共に、湿気もいよいよ強まって来ました。どうしても煩わしく感じられる季節ではありますが、しかしこのような湿り気のある時季があるからこそ、日本では収穫の秋に美味しいお米を食することが出来ますね。

         ~以下、永谷天満宮 大祓当日にご参列になれない方へのお知らせ~

 今月三十日に執り行われる大祓に当日ご参列になれない方を対象に、永谷天満宮では現在御本殿前の机の上に、祓の具である「人形(ひとがた)」を置いてあります。
 お清めの方法は人形の置かれている場所に詳しくご紹介しておりますので、ご参拝の折にはそちらをご参照下さい。

平成28年6月12日(日)
紫陽花探訪のススメ

関東地方も梅雨入りし、境内の紫陽花はより美しく花開くようになりました。本日は、永谷天満宮天神山の紫陽花探訪のご紹介を致します。

さあ、紫陽花探訪の始まりです。白、青、桃、紫、水色など、大きな紫陽花たちが実にカラフルに色付き、参拝者の方々をお迎え致します。

        桃色の紫陽花が鮮やかに咲き誇ります。

         こちらは青色の紫陽花たち。市営地下鉄ならぬ通称「永谷天満宮ブルーライン」

          幾多の紫陽花たちが織り成す宇宙。

               白い三連星。ジェットストリームアタ〇ク!!





 ここで個性豊かな紫陽花たちのアップ特集をご紹介致しましょう。
 こうやって改めて見ると、紫陽花とは深海魚のように不思議な生き物のようです。これだけ色や形が様々な花は、珍しいのではないでしょうか。

  山頂に到着致しました。青や白の紫陽花の他、豊潤な緑やタンポポが淡い風でなびいています。

 さて今度は、山頂から降り始めます。下り坂にも沢山の紫陽花が咲き、まだまだ見所が続きます。

天神山出口付近の紫色の紫陽花たち。こちらはお昼を過ぎてからよく陽が差しこむようになる場所です。天神山入口付近の紫陽花とはまるで変わった形をし、この辺りの紫陽花だけ独自の生態系を成しているかのようです。

天神山の紫陽花はほぼ満開を迎えましたが、まだまだ成長途中の紫陽花も沢山見受けられます。本来は鬱陶しい梅雨の時季ですが、小雨程度であれば、紫陽花もより風流に映えてお楽しみ頂けることでしょう。

平成28年5月15日(日)
紫陽花が成長しています。


ここ最近の永谷天満宮の境内はすっかり初夏の陽気。梅雨時の境内を彩る紫陽花の様子を見に行きましょう。

まずは天神山の入口から少し進んだところ。右に写っている大きな植物は紫陽花です。既に成人男性の背丈くらいには伸びています。しかしまだまだ成長しそうな気配。

この辺りは既に新緑と云うより、ざわ……ざわ…… と鬱蒼とした森を想起させます。

              !!紫陽花の花を見つけました!!
       今はブロッコリーのような見た目ですが、もうしばらくすれば華やかに色付きます。

   天神山山頂に続く石段付近です。こちらも豊潤な緑で溢れています。

天神山山頂に到着しました。タンポポなどのイキイキとした花が、息を呑むほどに周囲に咲き誇っています。その鮮やかな緑と黄色の空間はまるで、ホタルが飛んでいるかのよう。

 天神山から下りる際に、瞬間移動中のノラ猫に遭遇致しました。
 以上、お散歩コースに最適な、永谷天満宮天神山の現在の様子をお伝え致しましたッッ!!

平成28年5月8日(日)
新緑特集


本日で五月の大型連休も最終日です。初夏の陽気に恵まれた今日は、当宮の新緑をご覧にお詣りされてみては如何でしょうか。
現在の天神山の新緑の様子を、幾枚かの写真にてご紹介致します。
まずは天神山の入口の様子です。一ヶ月前までは桜が淡桃色に優美に色付いておりましたが、今ではすっかり清新な緑一色となりました。

入口からもう少し進んだところです。陽光に照らされた山道が奥まで続いています。朝の早い時間帯でも既に微かな暑さが感じられる程です。

両脇の濃緑の植物は、梅雨時の主役である紫陽花です。葉には更に厚みが増し、背丈も伸びて、あと一ヶ月もすればアーチのように紫陽花の花が周囲を彩ります。

小振りながら早くも黄緑色の紫陽花の花がついている様子です。これからの成長を楽しみに待ちましょう。


この場所から見上げると、つい一ヶ月前までは桜やレンギョウの花々が咲き誇っている光景が広がっておりました。
ここで一ヶ月前の写真と見比べてみましょう。
その差は一目瞭然。かつては華やかで柔らかい春の空気に包まれていたこの辺りも、今や夏を感じさせる力強い緑によって輝いています。鳥や虫、草木も伸び切って、万物が満足している様子が窺えます。

天神山の山頂に到着しました。初夏の風が吹くごとに、地面の草々が影絵のように模様を付けて軽やかになびきます。

菅秀塚の周りにも可愛らしいタンポポが咲いています。管秀塚の説明をした看板も先月設置致しました。

こちらは昨年に植樹された梅の木々です。今年の冬は周囲も枯木色に寒々しく、梅の花だけが紅色にくっきりと咲いていましたが、今は山腹も豊潤な緑の衣を纏い、梅の木々は多くの葉を付けるに至りました。
今日の境内は朝から澄明な青空が広がり、時に涼しく感じる程の心地好い風が吹きます。ご参拝の折には天神山の新緑もぜひお楽しみ下さい。

平成28年4月24日(日)
緑のイチョウ


突然ですが皆様は、イチョウというと何を思い浮かべますか?
やはり紅葉と共に、鮮やかな黄色に色付いた光景を想う方が多いのではないでしょうか。或いは、独特の苦味のある銀杏の実を想う方もいらっしゃるかもしれません。
しかしそれ以外にも、新緑と共に周囲を若々しく印象付ける緑のイチョウの姿も存在します。本日は、当宮に於けるこの時季のイチョウの姿をご紹介したいと思います。
まずは御本殿に続く階段から見たイチョウの木の様子です。

天神山の入り口辺りから見上げた様子です。一枚一枚、全ての若々しいイチョウの葉が全身で午後の陽光を浴びています。

こちらは、末社脇に立っているイチョウの木の様子。周囲の蓊鬱とした濃緑の木々に比べ、妖しい程に輝くイチョウの様子が見受けられます。その様はまるで、緑玉の宝石のよう。

近くに寄って見上げてみました。このような素晴らしい光景に出会えた時、自然と神々しさを覚えるのかもしれません。
今日は雨模様の一日でしたが、明日は晴天が見込めそうです。
また明日の午後四時より、御本殿にて月例祭も執り行われますので、イチョウや新緑をご覧になられる方はぜひ祭典にもご参列下さい。

平成28年4月15日(金)
新緑の季節


  永谷天満宮の境内は早くも新緑の季節を迎えました。暖かな陽光が境内を包み込み、眠気を誘うほどの心地好い風が参道を通り抜けます。
 煌びやかな新緑が彩る現在の天神山の様子を、写真にてご紹介したいと思います。
まずは天神山の入り口付近です。あれだけ淡桃色に色付いていた桜の花もすっかり散ってしまいました。今度は新緑が参拝者の方々をお迎え致します。

しかし、桜の花びらの山道は未だ健在。その脇には春の植物がすくすくと育っています。

       タンポポも数日前より一回り大きく成長しました。

         麗かな春の陽光により、新緑が萌黄色に純化されたように見えます。

          ため息が出るほど鮮やかな花々。贅沢な春の時間。

          天神山山頂。まだ少しだけ桜の花が咲いていました。

両脇に伸びているのは、梅雨の時季に咲く紫陽花です。今は大人の背丈くらいまでに成長しました。
この時季の境内は春気玲瓏とし、一日一日と花や新緑の成長を確かに見届けることが出来ます。ご参拝の折には花や新緑の成長の様子も併せてお楽しみ下さい。

平成28年4月9日(土)
永谷天満宮 桜開花情報 第四弾


 現在の永谷天満宮 桜開花情報をお伝えしたいと思います。それでは早速見て参りましょう。
 まずは、手水舎の周り。桜の花びらが駐車場一面に散ってしまった様子が窺えます。この辺りは、永谷天満宮でも最も早く桜が満開となった場所でありました。

  山道の様子です。まるで雪が降り積もったかのように、淡桃色の花びらが山頂に続いています。

        まさに圧巻……ッッ!!このような光景がご覧頂けるのも天神山ならでは。

              階段の両脇には、可愛らしいタンポポが……。

             東方が……黄色く燃えている!?!?

燃えているのではなく、レンギョウの花が咲き誇っておりました。桜の花以外にも、色とりどりの植物がご覧頂けます。

      あんなに満開だった山頂も、半分近くは桜の花が散ってしまいました。

   これはブリザードではありません!!強い風によって桜の花びらが舞っているのです!!
 以上、現在の永谷天満宮 桜開花情報をお送り致しました。
明日の日曜日が、最後の桜の見頃を迎えるかもしれません。まだ休日のご予定がお決まりでない方は、是非当宮にご参拝下さい。

平成28年4月7日(木)
まだまだ!!

                桜は見頃です!!(ドンッ!!)

平成28年4月1日(土)
新年度の始まりは……。


 平成二十八年は四月を迎え、同時に新しい年度の始まりになりました。
 新入学、新入社の皆様にとっては、大変喜ばしい新たなスタートになるかと思います。
 今日は、新たな門出と同時に地域の児童さん達がご参拝に来られ、御本殿でお詣りされた後は、天神山の桜を楽しそうに鑑賞しておりました。
 この日は平日にも関わらず、桜をご覧になるために多くの方々がお越しになり、境内が実に賑やかな雰囲気となった一日でありました。

平成28年3月31日(木)
永谷天満宮 桜開花情報 第三弾


 今日は朝から青空に覆われて、境内も暖かな陽光に包まれすっかり春の陽気となりました。
 只今より永谷天満宮 桜開花情報 第三弾 を開催したいと思います。
 まずは天神山の入り口です。色んな光景がすごく……キラキラしています……。

 こちらは入り口から少し進んだところ。この辺りは桜もすっかり満開になりました。新緑が美しく輝いています。

     桜だけじゃなく、俺たちもいるぜ!!♪ と元気に言わんばかりに咲くレンギョウたち。

         天神山の山頂。山頂は満開まであと数日は掛かりそうです。

 神牛像のすぐそばで、園児さんたちが楽しそうにお友達同士と会話をしています。これから境内を散策されるご様子です。
 以上、社務所より永谷天満宮 桜開花情報 写真五連撃にてお伝え致しましたッッ!!

平成28年3月25日(金)
永谷天満宮 桜開花情報 第二弾


 皆さんこんにちは。永谷天満宮 桜開花情報第二弾のお時間です。
 本日の永谷天満宮境内は晴れ。まさに文字通り、春季例祭を斎行するに相応しい麗かな日和となっております。
 この時期にしては多少の寒さも感じられますが、しかしこの澄明な空気によって、桜の花はより長く咲くことになるでしょう。

 天神山の現在の桜は、上の写真のような咲き具合となっております。三分咲と云ったところでしょうか。可愛らしい蕾ももう少しで花開きそうです。
 ソメイヨシノは、花が開いたばかりの頃は淡い紅色をしておりますが、満開に近づくにつれて白色に染まります。

 白は、神社の神主の装束がそうであるように、清浄さを表します。この意味は我が国の神社神道に限らず、世界各国の民族宗教でもそのような傾向が見受けられるようです。また同時に清らかな白は、再生などを意味したりもします。
 曇り空のような日でも、白いソメイヨシノは時に天神様に縁のある白梅のようにも映えて見えます。

 今日の午後二時からは、御本殿にて春季例祭が斎行されます。もう間もなくで新入学、新入社など、喜ばしい新たなスタートとなる四月を迎えます。
 この晴れた春の日に、是非ともよき門出となりますよう清新なご神徳をお受け下さい。

平成28年3月10日(木)
3/11の御祈祷受付時間帯についてのお知らせ

 明日の午後二時より、神職が御本殿にて、東日本大震災復興祈願祭を謹んでご奉仕させて頂きます。
 それに併せ、明日の午後二時から午後三時半までの時間帯は、昇殿祈祷を承ることが出来ません。何卒ご了承下さい。

 東北地方で発生した東日本大震災から、明日でちょうど五年を迎えます。当時起こった恐ろしい大地震やその被害に対して、思念することは人それぞれかと思います。
 しかし、多くの命がそこで絶たれてしまったことは事実であります。
 大震災が起こってからも今を生きている私どもは、時にその事実を顧みて、思慮し、子供達を始めとする後世に繋げられるような生活を営んで行かなければならないと考えます。

 先の東日本大震災に限らず、全ての命は日々生まれ、やがて絶えます。
 自然の生き物達も、春には汪溢とし、夏に弱まり、秋には枯れ果て、冬にはまた若々しく生きるための再生の準備をします。

 時に荒々しい表情を見せる自然の中で生きる私どもも、明日は、そのような事実を見つめ直す一つの節目になるのではないでしょうか。

平成28年3月4日(金)
3/25の御祈祷受付時間帯についてのお知らせ

3/25の御祈祷受付時間帯についてのお知らせ
 三月に入り、朝晩はまだ冷え込むものの、日中は春の訪れを感じさせる陽気になって来ました。
 殊に明日は、二十四節気で云うところの「啓蟄(けいちつ)」に当たります。漢字の通り、「啓」は「ひらく」ことを意味し、「蟄(ちつ)」は、地中で虫などが冬眠することを差します。ですので「啓蟄」とは、地中で冬眠をしていた生き物達が地上の暖かさを目指して、土の中から顔を出し始める時季のことを云うのです。

 さて、今月25日の午後二時からは、当宮にて春季例祭が執り行われます。それに併せ、当日の御祈祷受付時間は午前十一時までとさせて頂きます。何卒ご了承下さい。
 また、春季例祭にはどなたでもご参列頂けます。その頃には今よりももっと桜が花開いていることでしょう。

 写真は天神山に続く参道の様子です。美しい桜も咲き、ちょうどいい散歩コースとしてもお楽しみ頂けるかもしれません。

平成28年2月17日(水)
大変お待たせ致しました!!


 皆さんこんにちは。永谷天満宮 桜開花情報のお時間です。
 本日の永谷天満宮境内は晴れ。風も程よく、午後の陽に当たると初春ならではの、じんわりとした暖かさを感じられる気候となっております。
 先日は曇りの天候の中、河津桜と梅の様子をご紹介致しましたが、本日は晴れ間の様子をお楽しみ下さい。

 まずは天神山に続く参道の様子です。柔らかな陽光が差し込み、桜の木も枝を両手のように広げ、元気いっぱいに充電しているように見えます。

      少し先の桜の木の枝に、可愛らしいメジロを見つけました。何をしているのでしょうか?

      こちらは末社近くの白梅の花です。やはり白梅には青空が一番鮮やかに映えて見えます。

 以上、社務所から永谷天満宮 桜開花情報をお伝え致しました。今後も不定期でお知らせしたいと思います。

平成28年2月12日(金)
永谷天満宮「節分祭」が執り行われました。


 去る二月三日午後一時より、永谷天満宮「節分祭」が執り行われました。
 当日は朝から晴天に恵まれ、平日にも関わらず、三百五十人以上の方々にお詣り頂きました。

 氏子会の方々が組んで下さった櫓(やぐら)から、申年(さるどし)である年男、年女の他、氏子会、神職、永谷天神囃子など、沢山の奉仕者が「鬼は外、福は内」の大きな掛け声と共に、勢い良く豆を撒きました。
 撒かれた豆は、地域の子供たちをはじめとした、多くの参拝者の方々の手に渡り、それが一段落すると、作りたての温かい豚汁が皆様に振る舞われました。

 鬼祓いをして、身体を芯から温めたところで、一陽来復(いちようらいふく)、後少しの寒い季節を無事乗り切り、春の訪れを待ちましょう。

             ☆OMAKE~お ま け~OMAKE☆

 こちらは後日談です。
 櫓から撒かれ、参拝者の手に渡らなかった豆や、或いは誤って落としてしまった豆を拾いに、沢山の小鳥たちがつまみ食いをしに来ています。
 この可愛らしいつまみ食いは、約一週間に亘り続きました……。

平成28年1月24日(日)
永谷天満宮「さいと焼き」が執り行われました。


 去る一月十四日午前十時より、永谷天満宮「さいと焼き」が執り行われました。
 境内の中心にて祭壇を組み、神様に対するお供え物である神饌(しんせん)を供え、宮司が祝詞を奏上した後、神聖な火は点けられました。

 この清らかな火によって、参拝者の方々が一年間大切にお祀りされていたお札やお守り、神棚などをお焚き上げ致しました。写真のように、炎が強くなってからは、氏子会の方々に丁寧な手入れをして頂きます。この火は神社の閉門の時間まで、静かに燃え続けました。

平成28年1月22日(金)
節分と二十四節気の由来


 現代では「節分」と云うと、多くの方々が「鬼は外、福は内」という賑やかな掛け声と共に、豆まきをする行事をイメージされるかと思います。

 しかし節分とは本来、季節が移り変わる節目である「立春、立夏、立秋、立冬」のそれぞれの前日を指しますので、実は一年に四回あるのです。それが日本では、春を迎えると云うことは、新年をお迎えする大変おめでたいことと同等とされたため、やがて室町時代頃から、節分=立春の前日だけを指すようになりました。

 さて、ここで登場した「立春、立夏、立秋、立冬」などをはじめとした季節の単語は、今ではカレンダーや時候の挨拶文でしばしば見掛けますが、かつては農業を営むにあたって大変役立っていた季節の節目とされていました。

 今ここで申し上げた季節の節目とは、「二十四節気(にじゅうしせっき)」のことであり、「二十四節気」とは、古代中国で考案された一年のうちの季節の指標のことを云いました。
 ごく大雑把に云えば、古代中国の人々は、太陽の動きを観測してそれをもとに、一年の長さを二十四個の節目に分け、その節目それぞれに、立春、秋分などの名前を付けた、と言い換えてもよろしいでしょう。そしてその節目同士は、ほぼ等間隔の日数(約十五日前後)で分けられたのです。
 二十四節気が生まれた古代中国の黄河流域に於いては、主に農業が営まわれておりました。農耕民族にとって季節、気候の変動を知ることは、生活に直結するきわめて大事なことであったため、二十四節気は彼らの生活に於いても重要視されていたのです。

 有名なものとして、一年で最も昼間が長い日である「夏至(げし)」や、逆に最も夜の長い「冬至(とうじ)」、或いはこの日を境に一日が長くなる「春分(しゅんぶん)」などは、現代の日本でも私どもの生活に深く根付いています。

 二十四節気はやがて日本にも伝わり、飛鳥時代頃から取り入れられ、改定を重ねながら現代に至りましたが、まだ二月なのに、暦の上では立春……などと言われても、いまいちピンと来ないかもしれません。
 その理由は上記に示したように、二十四節気は古代中国で発祥した概念であるからと説明出来ます。つまり中国の黄河流域は、日本の東北地方と同緯度であったことや、大陸性気候と島国の風土の違いから、季節感のズレが必然的に生じてしまうのです。

 ここまで、二十四節気のうちの立春の前日が、現代の一般的な節分の行事を指すことはご説明致しました。
 ではこの節分の行事、即ち鬼を追い祓う「鬼祓い」の起源ですが、こちらは古代中国の「大儺(たいな)」と呼ばれる行事に認めることが出来ます。
 大儺は、奇矯なお面を着けた呪術師が疫を追い払う行事とされておりますが、日本に於いては、七〇六年に朝廷で「追儺(ついな)」と呼ばれる儀式が執り行われたことが「続日本紀(しょくにほんぎ)」には伝えられています。
 この頃の日本では疫病が蔓延し、多くの国民が命を落としてしまったために、鬼祓いの儀式が初めて斎行されたのです。以降、朝廷では大晦日に陰陽師らによって、追儺の儀式が執り行われるようになります。

 ここでいう「鬼」とは、「隠(おん)」が変化したものと伝えられており、それは目に見えない災厄や、疫病、邪気のことを主に指しました。
 この隠れたような目に見えない災いが鬼の仕業であると考えられるようになり、また季節の節目には邪気が入り込みやすいとされていたことから、上記のように追儺が斎行され、節分に鬼祓いの行事、やがて鬼を追い払う豆まきの風習が現代に残ったのです。

 鬼祓いに用いる「大豆」にもきちんと相応の理由があり、古来より大豆には穀霊が宿ると信じられ、また米と共に神事にもよく用いられており、特に、「魔を滅する=魔滅(まめ)」に通ずることから、鬼祓いの際に重用されました。
 そして、七月の「陰陽五行思想」の項目でもご紹介したように、鬼は、「木火土金水」の五つのカテゴリーのうち、「金」に配当されます。火は、金を滅する性質(火剋金)を持つことや、豆まきの際の大豆は、火を通した「炒り豆」を必ず用いることからも、大豆が重宝された理由が窺えます。

 以上、簡単ではございましたが、節分並びに二十四節気の由来についてご説明させて頂きました。
 写真は境内に咲いた白梅です。昨日で、一年で最も寒さが厳しい頃合と云われる「大寒(だいかん)」も越えました。僅かながら春の陽気の兆しが見え始めています。

平成28年1月19日(火)
永谷天満宮「節分祭」のお知らせ


 来る二月三日(水)に、永谷天満宮にて「節分祭」を執行致します。
 当日は午後一時より、御本殿にて祭事を斎行し、祭事終了後に豆まきを開始致します。
 当宮では豆まきに参加される、申年(さるどし)の年男、年女の方々を募集しております。豆まき参加にご希望の方々は、一月三十一日(日)までに当宮にご連絡下さい。

 尚、豆拾いに参加される方々は、当日の午後一時十五分までに境内にお集まり下さい。特にお子様が豆拾いに参加される場合は、必ず保護者様がご同伴下さいますよう宜しくお願い申し上げます。

 二十四節気(にじゅうしせっき)では、明後日二十一日は、一年のうちで最も寒さが厳しい頃と云われる「大寒(だいかん)」に当たります。しかしそれも幾らか過ぎれば、やがて「立春(りっしゅん)」を迎えます。この立春の前日が節分にあたり、且つ立春が二十四節気に於ける一年のはじめを意味するのです。
 今でも私どもの生活に深く根付いている立春や大寒を指す二十四節気や、節分の由来などは、また後日改めてご紹介したいと思います。

 境内では昨日未明に雪が降り積もりましたが、今では柔らかな陽光が差し込み、写真のように既に雪解けの様相を見せています。二羽の可愛らしい鳩が、春が待ち遠しいかのように日向ぼっこをしているようにも見えますね。

平成28年1月10日(日)
平成二十八年新春初詣の様子~其の三~


 巫女さん達からおみくじをお受けになられている様子です。本来おみくじは、大吉や吉など、良い運勢のものは、そのままお持ち頂くことが習わしとされています。

 永谷天満宮氏子会の方々が、甘酒を振る舞って下さいました。寒い中、身体が芯から温まります。

 天神山から境内の様子を写しました。広い境内が、大勢の参拝者の方々で一杯になっています。

 こちらは参拝者の方々が暖を取るための焚き火のようにも見えますが、実は大晦日の古神札焼納祭で焚いた清い火が、継続して燃えているのです。
 この火は、薪をくべたりしてお正月の期間は絶やさずに燃え続けました。

 お守りやお札、絵馬、破魔矢などをお頒かちする授与所の様子です。元日は午前零時より授与所を開け始め、お正月期間は多くの参拝者の方々で賑いました。

平成28年1月10日(日)
平成二十八年新春初詣の様子~其の二~


 其の一では元旦の境内の様子をご紹介致しました。御本殿までお詣りされる方々が並び、殷賑な様相を見せています。

 其の二は夜の境内の様子です。鋭い寒さがより一層増す中にも関わらず、御神域はまだまだ多くの参拝者の方々で満ちています。階段の提灯が檣灯のように光り、ご参列の皆様を御本殿まで導きます。

平成28年1月10日(日)
平成二十八年新春初詣の様子~其の一~


 明けましておめでとうございます。穏やかな気候のもと、平成二十八年は丙申年(ひのえさるどし)を無事迎えました。
 今年の三が日は例年に比べ麗かな陽気に恵まれ、当宮にも三万五千人以上の参拝者の方々にお詣り頂きました。その賑やかな様子を数回に亘り、写真にてご紹介したいと思います。

平成27年11月26日(木)
雨上がりには……。


 ここ数日で一段と寒さが厳しくなって参りました。
 今朝も冷たい雨がしばらく降り続けましたが、ぱっと止んだかと思うと、遠方の空には大きな虹が広がっておりました。

 この季節になると境内の空気は澄明になり、清々しい気分でお詣り頂けるかと思います。
 少し趣向を凝らして、忙しなくなりがちな通学や通勤前に、当宮にお立ち寄りしてお詣りされてみては如何でしょうか。

平成27年11月5日(木)
賑やか、賑やか。


 十一月に入り、当宮でも七五三の御祈祷を受けられるご家族の方々が増えて参りました。特に土日祝日は、多くの祝子様により殷賑な装いを見せます。

 こちらは一昨日、文化の日の境内の様子です。まるで秋の陽光が、祝子様の笑顔を照らしているかのようです。

平成27年10月22日(木)
紅葉に向けて……。


 天神山の木々が紅葉に向けて徐々に衣替えを始めたようです。
 こちらは末社近くの樹木の写真ですが、ご覧のように山吹色へと色付いて来ました。

 当宮のお近くにお住まいの方であれば、もしかしたらご自宅の窓からご鑑賞頂けるかもしれません。

平成27年9月27日(日)
秋季例祭が斎行されました。

 去る九月二十五日、当宮御本殿にて、一年に一度の秋季例祭が厳かに斎行されました。
 当日は朝から雨模様でしたが、氏子崇敬者の皆様を中心として多くの方々にご参列頂きました。
 また祭祀を執り行う祭員も、当宮にて日頃御奉仕させて頂いている神職だけではなく、他の神社の神職にも御奉仕頂きました。

 本年は未年中祭の年に当たり、無事例祭が斎行されたことで、清新な御神威をお受けになられることでしょう。
 当宮では、今回斎行された秋季例祭の他、毎年二十五日の午後四時より「月例祭」を御本殿にて執り行っております。
 どなた様でもご参列頂けますので、月に一度のよき節目の神事として是非お詣り下さい。

平成27年9月24日(木)
奉納演芸会が執り行われました。


 昨日、午後六時より当宮の神楽殿にて奉納演芸会が執り行われ、多くの方々にお越し頂きました。
 氏子会の方々による歌や演舞、お囃子の他、神職の雅楽奉納、飛び込みの参加の方々まで来られる程の賑わいを見せました。

 今夜は宵宮として、永谷天神囃子の方々による奉納演舞がなされます。

平成27年9月23日(水)
秋季例祭初日斎行~子供みこし、囃子巡行~


 本日午前九時半より当宮にて秋季例祭初日が斎行され、永谷天神囃子の方々の先導のもと、地域の子供達が元気いっぱいに神輿を担いで当宮を出発致しました。
 上の写真は神輿に御霊(みたま)を遷している様子です。大神様の御神威を頂き、神輿巡行と例祭斎行の無事を御祈り致します。

 秋季例祭は明後日二十五日まで斎行され、本日十八時からは当宮の神楽殿にて奉納演芸会が執り行われます。どなたでもご鑑賞頂けますので、是非当宮にお越し下さい。

平成27年9月17日(木)
永谷天満宮 猫の巻~其の一~

                     起こさニャいでね。

平成27年9月12日(土)
世紀の大発見!?


 永谷天満宮の境内にて、未だ図鑑にも載っていない新種のキノコを発見致しました!!天神山にちなんで「天神ダケ」と名付けることにしましょう。

 ……すみません、冗談でした。連日の大雨にて境内にキノコが生えてしまったようです。このように、当宮には毎日新たな発見があります。
 日中はまだまだ暑い日々が続きますが、朝晩は幾らか涼しくなり、段々と秋めいて来た様子です。

平成27年8月15日(土)
終戦から七十年

 凄惨な経緯と結果、多大な犠牲者を招いた大東亜戦争終戦から七十年を迎えました。
 日本は敗戦後連合国の統治下に置かれ、神社神道でさえもGHQの指針の下、再出発せざるを得ませんでした。

 その後の日本は「もはや戦後ではない」と称されるほどに高度経済成長を遂げ、現在は先進国の一翼を担い、世界各国にも平和貢献を果たすに至りました。
 私どもはその現状で日々安穏に過ごせすことができていますが、七十年前の惨憺たる当時の我が国の状況と、そしてそこで亡くなられた多くの戦没者がいたと云うことを忘れてはなりません。

 毎年この時期には、私ども日本人は大東亜戦争で亡くなられた方々に哀切の念を持って黙祷を捧げ、戦争そのものにも思いを深く巡らせておりました。
 しかし日本に限らず、世界各国の政治、経済、思想、秩序、倫理等が多様化する現代に於いて、極東の一国にそのような歴史があったと云う事実だけが残ってしまった側面も、確かにあるような気が致します。
 それは、戦争を体験していない若い世代が台頭し、世界の舵を切り始めた所以もあるのでしょう。

 しかしながら、如何なる国家、民族に限らず、平和な社会を維持して行く上では、普遍でなければならないことが何かを堅固に認識し、そのために今まで歩んで来た道を省みることが必要です。そこに世代の違いはありません。
 形式だけに捕われず、また世間や周囲にも流されずに、各々が真摯に過去に向き合い、熟考することが今後の平和な未来にも繋がるのではないでしょうか。

平成27年7月17日(金)
陰陽五行思想とは

陰陽五行思想とは
 依り代に続き、七夕の項目で出て来たもう一つの単語である「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」について、今回は述べさせて頂きたいと思います。

 陰陽五行思想とは古代中国で生まれた思想であり、「陰陽五行説」とも表現します。元々は、「陰陽説(いんようせつ)」、「五行説(ごぎょうせつ)」と二つに分かれて考えられていました。
 「陰陽説」は、古代中国神話に登場する「伏羲(ふっき)」と呼ばれる帝王が編み出した理論であると伝えられており、万物は全て、陰(いん)と陽(よう)の二つの属性に分かれた二項関係で成り立つと云う考えを基にして作られました。
 男と女、太陽と月、天と地、明と暗、のように、この宇宙の全ては二項関係で表現され、また男は陽の属性、女は陰の属性、そして太陽は陽、月は陰、などのように、森羅万象は陰陽に選別、配当されたのです。

 対する「五行説」は、陰陽説よりも三千年以上後に生まれた思想であり、「鄒衍(すうえん)」と呼ばれる人物が理論付けたと伝えられています。
 五行説によるとこの宇宙は、木、火、土、金、水の五つの要素から構成され、それぞれが影響を及ぼし合うことで、宇宙のバランスは整えられているとしています。

 これは、私どもが存在する自然界をよく観察するとイメージが掴み易いかと思います。
 木は、燃えることによって火を生じ、やがて灰、土へと変化します。土の中で金属は産出され、金属の表面には水滴が生じます。そして水は、木を育む……と、このように木火土金水(もっかどごんすい)の生成サイクルによって、自然界は循環しているのです。

 また同時に、木は土に根を張り養分を吸収し、土は水を塞き止め、水は火を消し、火は金属を溶かして、金属の斧は木を切り倒す……と云う性質から、木火土金水は互いを生じ合うだけではなく、それぞれが相克し合う性質も併せ持つのです。
 この、木火土金水の生成と相克のシステムに注目し、それを体系化した理論が五行説であり、前述した陰陽説と後に組み合わされたものが、「陰陽五行思想」となったのです。

 七夕の項目でもご紹介したように、奈良、平安時代頃では短冊ではなく、五色の糸を用いておりました。
 その五色とは、青(緑)、赤、黄、白、黒(紫)、であり、また陰陽五行思想によれば、青は木、赤は火、黄は土、白は金、黒は水、の五行に配当されていました。
 ここで申し上げた木火土金水とは、自然界に存在する木や土を指しているのではなく、あくまで木火土金水(もっかどごんすい)と云う五つのカテゴリーの名前にすぎません。
 つまり、自然界のあらゆる概念や現象、物質は、木、火、土、金、水の五つのカテゴリーに分かれて、それぞれに属することが出来ると云うことを意味しているのです。
 他にも例を挙げますと、方位の東は木、南は火、中央は土、西は金、北は水、或いは、四季の春は木、夏は火、四季の変わり目は土、秋は金、北は冬、とそれぞれが木火土金水の五つに配当されています。

 この陰陽五行思想は、六世紀の日本に中国から伝わり、当時の朝廷では「陰陽寮(おんみょうりょう)」と呼ばれる現在で云うところの省庁が設けられ、そこには陰陽五行思想に精通した「陰陽師(おんみょうじ)」と呼ばれる人物らが所属していました。
 中でも「安倍晴明(あべのせいめい)」は、突出した能力を駆使していたと伝えられており、平成の現代でも映画や小説の題材になっています。もしかしたら、皆様もどこかで彼の名前を聞いたことがあるかもしれません。

 以上、陰陽五行思想についてご説明させて頂きましたが、この陰陽五行思想は現在の神道の中にもその流れが残っており、それらを仔細に解説した数多くの専門書が書店に並んでおります。ご興味のある方は書店や図書館などで是非手に取ってみて下さい。神社や神道に対して、別な角度からの新たな発見があるかと思います。

平成27年7月9日(木)
依り代とは


 新着情報の七夕の項目で出て来た単語である、「依り代(よりしろ)」と「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」について、まず「依り代」からご説明させて頂きたいと思います。

 かつて我が国の民族は、雄渾な山、岩、滝、泉など、自然そのものに神霊が宿ると云う原始的な信仰がございました。今でも神社の境内などで、巨大な木や岩に注連縄(しめなわ)が張られているのを目にしますが、そのように神霊が宿ったモノを、神道では依り代と呼んでいます。

 このように自然界そのものを信仰の対象にする様は、今でも全国に見受けられます。
 例えば、奈良県桜井市に鎮座する日本最古の神社である「大神神社(おおみわじんじゃ)」では、三輪山(みわやま)と云う、山そのものを御神体としておりますし、日本の南に目を向けますと、鹿児島の「モイドン」、種子島の「ガロー森」は森そのものを崇め、また沖縄の「御嶽(うたき)」と呼ばれる信仰施設では、静謐で清浄な空間に佇む、森、泉、巨岩などを今でも信仰の対象としているのです。
 その意味では、自然界そのものが依り代に成り得ると云え、それは荘厳で煌びやかな人工物を称え祀ることばかりが神様に対する信仰ではないと、古代の日本人は直感的に感じ取っていたのかもしれません。

 そして自然を敬うことは、私どもが自然界の一部であると云う事実を再認識することにも繋がります。
 北海道の先住民族であるアイヌの思想として、自然界の全てを「カムイ」、即ち神と敬い、「カムイありて我あり、我ありてカムイあり」と考えておりました。
 畢竟するに、人間と自然界の相互扶助の関係の中にあるからこそ私どもは成立し、自然界なくして私どもの生活は有り得ないと云うことです。

 昨今では環境問題も世界各国共通の課題となっています。鎮守の森を後世に継承して行くことは、自然に対する畏敬の念を継承することにも繋がります。
 当宮にも、天神山と云う素晴らしい財産がございます。皆様もお詣りにいらした際は、御本殿に参拝されるだけではなく、自然が豊潤な天神山にも是非足を運んでみて下さい。

平成27年7月1日(水)
大祓神事が執り行われました。

 昨日午後四時より、当宮にて大祓神事が執り行われました。平日にも係らず三百人以上の方々にご参列頂き、また神楽殿ではお囃子の奉納もあり、大変な賑わいを見せました。
 祭典では人形(ひとがた)に息を吹き掛け、大祓詞(おおはらえことば)を皆様で奏上し、写真のように茅の輪をくぐったことで、半年間の罪穢れを祓い清めました。このように一年に二度のお祓い、お清めをすることで、次の半年間が平穏無事に過ごせることを願います。

 本日は朝から雨模様です。大祓詞の中に登場する三柱の神々は、いずれも水の神様を指します。大祓詞には、学術的にも非常に興味深い意味合いが多分に織り込まれています。ご興味のある方は、お気兼ねなく神職にお声掛けください。

平成27年6月23日(火)
慰霊の日

 七十年前の今日、日本で唯一凄惨な地上戦が繰り広げられた沖縄では、米軍に対する日本軍の組織的な抵抗が終了しました。
 そこに至るまでに生じた犠牲者の数は、正確な数は未だ分かりませんが、日本兵戦没者、沖縄県出身戦没者、米軍戦没者と、合計二十万人以上と伝えられています。

 現代の日本は、経済、雇用、教育等、確かに夥多な問題を日々抱えていますが、麗らかな日には、家族や友人と楽しく過ごしたり、或いは柔和な心緒で神社に参拝して祈ることも出来ます。

 これは現代の日本に生きる私どもにとっては、ごく自然で当たり前な光景ですが、戦時中の沖縄や本土で生き抜く人々にとっては考えられなかった光景でしょう。私どもは、今当然のように日々送れている生活が、何故成立しているかと云うことに真摯に向き合わなければなりません。

 それは、各々の心情が沈思出来るのならばいつでもよろしいのでしょうが、私どもが平和な現代を生きる日本国民であると云うことを考えれば、今日この日に改めて黙考する必要があるような気が致します。

 私どもは戦争を生き抜いた方々から、当時の悲惨な様子に対して背けずに傾聴し、それを語り継いで行かなければなりません。それが、平和な現代の中で生きる私どもの務めであると思います。

 赫奕とした太陽が浮かぶ沖縄の青空の下、糸満市摩文仁の平和記念公園では今日、戦後七十年沖縄全戦没者追悼式が執り行われます。住む場所は異なえど、平和な現代の日本を生きる私どもも、戦没者の鎮魂、恒久平和を願い黙祷を捧げましょう。

平成27年6月12日(金)
雨の日の紫陽花


 この時期の雨と云うのは湿気も相俟って、どうしても煩わしさを覚えるかと思います。
 しかしながら、そんな雨の中でこそ栄える紫陽花は、殊に日本的な花ではないでしょうか。

 三島由紀夫著「金閣寺」の中に、柏木と云う人物が登場します。物語の内容は割愛しますが、柏木は主人公の友人であり、少しシニカルな男です。
 ある時柏木は、主人公とその友人達と京都の竜安寺などに参拝に出かけようと提案するのですが、柏木は「晴れたら参拝に行くのは止め、雨が降ったら参拝に行こう」と言うのです。
 普通は麗らかな晴れた日に出掛けようと考えるものですが、彼の中には彼独自の美的感覚が存在し、また雨の日だからこそ表れる情趣を認めていたのでしょう。同時に、雨の日の紫陽花も、そのような天候だからこそより魅力を増す花なのかもしれません。

 写真は今朝雨の中、末社脇にて撮ったものです。最近は雨の中でも紫陽花をご覧に参拝される方々が来られます。空合いによって一味違った表情を見せる当宮にも是非お詣りください。

平成27年5月9日(土)
手水舎に……、あ、あんこう……??

当宮の手水舎にはあんこうがいます。
 最近ではまだ五月にも係らず、手水舎の周りには既に蚊が飛び回ることが多くなって来ました。 かつては神社などの神域に入る前には、全身を海や川、滝などの清らかな水を浴びて穢れを祓う、禊(みそぎ)と呼ばれる行(ぎょう)を執り行っていました。やがて時代に合わせて手水(てみず)と云う形を取るようになり、現代では境内に入る前に、参拝される方々にも両手と口を清めて頂いております。

 少し判りづらく、また時期としても早いかもしれませんが、当宮では写真のように手水舎の脇にあんこうの形をした蚊取線香を設置致しました。見た目は何やら異様な感じが致しますが、その雰囲気で邪気を祓ってくれるかもしれません。