境内のご案内

(1)ご本殿 (2)末社 (3)神輿庫 (4)社務所 (5)手水舎 (6)神牛像 (7)菅秀塚 (8)貞昌院

(1)ご本殿

ご本殿

ご本殿

ご本殿

 日本三躰永谷天満宮は、明応二年(1493)藤原乗国が永谷に居城し、霊夢を得て畏み恭しく御社殿を造営し、御神像を安置し奉ってから五百年余年が垂らんとしている。
 
 その間、宅間伊織之介、藤原綱頼の修造や藤原規富の改築があったが、享和三年正月不慮の火災により焼失。
 貞昌院第十六世徹玄岷州再建を志したが即世し、嗣僧大輝その志を継承し文化二年乙丑落成、その後関東大震災では御本殿、覆殿、幣殿等倒壊し大被害を蒙り、資材欠乏の時であったが氏子の熱意により御下賜材等を得て修復した。
 
 昭和六十二年、氏子崇敬者の御奉賛もあり薨後1088年並びに平成御即位の記念事業として現在の御社殿が完成。現在では例祭をはじめとした各祭事、御祈祷を執り行っている。

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(3)神輿庫

神輿庫

神輿

 徳川十代将軍家治の時、老中田沼意次は、学問の神様を祀る天満宮、殊に菅公御自作の御尊像を御神躰とする当宮を崇敬し、其の紹介を以て天明元年(1781)、当宮の神輿が江戸出開帳毎に将軍の居城である江戸城に入り、将軍自らも恭しく拝観したと伝えられている。

※出開帳とは、御神体を神輿に安置し厳重な警戒のもと東海道を経て江戸深川に至り、開帳即ち神輿の正面扉を開いて御神躰を江戸町民に拝観せしめることをいう。

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(6)神牛像

神牛像

 昭和五十七年、氏子有志の天満宮崇敬の念厚く、数年後の丑年大祭に備え、多数の協賛を得て奉献された。
▶▶▶ コラム:「天神様と牛」 〜天神様と牛にちなむ二つのおはなしから〜

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(7)菅秀塚

菅秀塚

 道真公が筑紫の太宰府に左遷されるや、御子息の方々も全国各地に配流された。
 菅秀才淳茂公は、相模国永谷郷の下之坊(現在の貞昌院の前身)に居を構え、朝夕に天神山の山頂に立たれ、遥か西方の太宰府に居られる父を思慕せられたのである。
 その場所こそが菅秀塚で、淳茂公ご自身の遺髪を納めたとも伝えられている。

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